ヤギさん立つ
2023.12.19人馴れ抜群です。
触ってほしくて立ち上がりました。
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人馴れ抜群です。
触ってほしくて立ち上がりました。
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新しい家族としてヤギさんを迎えました。
2頭のきょうだいヤギさんで、現在生後2か月半くらいです。
体の色が濃いのが男の子で、名前はみずほくん。体の色が薄いのが女の子で、名前はしずくちゃんです。
通りかかった際などに、名前を呼んでみてあげてください。

お寺はなにか機会がなければ行かない場所と考えられていますが、昔は人々が気軽に集まれる場所として多くの方に利用されていました。
当寺院は本来のお寺が持っている役割である地域社会のコミュニケーションの場としても活動しており、一年間を通して地域の皆様が楽しめるような行事を開催しています。
開催している行事内容は仏教に直接的に関係があるものから、仏教は関係なくワイワイと楽しめるものまで幅広く、これまでにお寺や仏教に縁がなかった方でも大歓迎です。
通常のお寺としての行事としては除夜の鐘・法要などが挙げられる一方、通常行事以外のものとしてお花見や子ども土曜学校・BBQなどになります。
春の季節には当寺院境内のソメイヨシノが満開になるため、毎年多くの方が境内をお散歩しながら春を感じているのも特徴です。
これらの行事に参加するのはハードルが高いと考える方も多いですが、気軽にふらっとお一人様でもご家族様でも友人同士でも来てもらえると嬉しく思います。
行事以外の日でもなにか相談事がある場合でも当寺院までお越しください。
詳しい行事内容や開催予定について知りたい方がいれば、どのような内容でもまずはお気軽にお問い合わせください。
親鸞聖人は真宗大谷派の宗祖です。
師であり浄土宗の宗祖の「法然(ほうねん)」の元で仏教について学び、浄土真宗を広めました。
◇親鸞聖人の一生
親鸞聖人は1173年4月1日、産まれました。ちょうど世の中が貴族社会から武家社会に移りかわそうとする激動の時代に生まれたのです。
9歳の時に天台座主 慈円(じえん)の元へ出家をして20年間比叡山にて厳しい修行と学問を学びます。
しかし、29歳の時に比叡山での修行に行き詰まり、下山を決意するのでした。
◇法然との出会い
その後、浄土宗の宗祖法然と出会い、「どのような人であれ念仏ひとつで救われる」という極楽浄土の教えに共感を覚え、法然を生涯の師として教えを乞います。
しかし、法然の教えは当時の権力者から妨害されて、親鸞聖人は35歳の時に越後国(今の新潟)へ流罪となったのです。
◇関東へ
5年後に流罪を解かれた親鸞聖人は、法然が亡くなったことを知ると「権力者のいる京都には未練はない」と
20年間、茨城県の稲田に草庵をかまえ、真実の仏教を伝えました。
こうして多くの人に仏教を伝えられた親鸞聖人は、還暦過ぎて生まれ故郷の京都に戻り、弘長2年(1262年)11月28日、京都の町の中程、押小路南、万里小路東にて、90歳になられた親鸞聖人は、浄土に還って往かれました。
永大供養や葬儀についてご不明な点がございましたら、お気軽にお問い合わせください。
お問合せはこちら https://www.horinbo.com/contact/
浄土真宗の宗派の一つである真宗大谷派は、親鸞聖人が確立したです。
阿弥陀如来を信じ「南無阿弥陀仏」と称えることで、すべての人に開かれた平等な救いの道であるという教えです。
ここでは、真宗大谷派の教えについて解説しています。
◇真宗大谷派の教え
浄土真宗では、阿弥陀如来の救いを信じてゆだねれば往生できると教えています。
そして、念仏を唱えるのは往生するためではなく、阿弥陀如来の救いに委ねる「他力本願」の考えで、「南無阿弥陀仏」は救いに対する感謝の気持ちを伝えるためです。
真宗大谷派の経典は、念仏によって極楽浄土に往生できることを説いた「無量寿経(むりょうじゅきょう)」、お釈迦様が浄土について説く「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」、極楽の光景を描写した「阿弥陀経(あみだきょう)」です。
この3経典を「浄土三部経」と言います。
◇真宗大谷派の葬儀の方法
真宗大谷派の葬儀では、故人の供養や成仏のために執り行うものではないという考えのもとで執り行います。
葬儀では故人に対してではなく阿弥陀如来の救いに対してお礼の気持ちを込めてお参りをするのです。
そのため、亡くなった人が成仏するための引導や授戒の儀式がありません。
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